藥泉 南九萬 (1629-1711)

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藥泉・南九萬 (1629-1711)

藥泉・南九萬
朝鮮後期の粛宗の時代の名臣で、号は薬泉、本貫は宜寧である。
1656年(孝宗7年)に別試文科に合格して漢城府左尹、大提学、大司諫、右議政などの官職を経て、1687年(粛宗13年)に領議政に昇格し、1707年(粛宗33年)に奉朝賀となった。朝鮮後期の政治的派閥争いの中、少論の領袖であった薬泉・南九万は、1689年(粛宗15年)に粛宗が昭儀張氏(禧嬪)の実子を世子に立てようとすると、これに反対する宋時烈に同調して失脚し、1690年に朝廷から再び命を受けるまで、現在の東海市望祥洞深谷村で流刑に処された。
薬泉・南九万が詠んだ時調で、『青丘永言』に記録されて現在でも広く愛誦されている「東の窓は白めりや 雲雀が 囀ずる。牛飼いの童はいまだ起きざるや 峠越えの畝長き畑いつ耕さん」という時調は、彼がここに留まっていたときに詠んだものと知られている。
現在でもここには時調に出てくる「峠」や「畝長き畑」をはじめ、彼が飲んだ井戸水である「薬泉」が残っている。文集には『薬泉集』がある。