毅菴 柳麟錫 (1842~1915)

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毅菴・柳麟錫 (1842~1915)

毅菴・柳麟錫
朝鮮時代末期から大韓帝国時代の春川出身の義兵長であり儒学者で、号は毅菴、本貫は高興である。
柳重坤の
息子で、14歳の時に叔父である柳重善の養子に入り、当代の巨儒であり衛正斥邪の代表的思想家である華西・李恒老の下で教えを受けた。 1893年(高宗30年)、提川に移って後進の学者を養成していたが、1895年、明成皇后・閔妃が弑害された乙未事変と断髪令をきっかけに、李弼熙など文人社友たちと共に拒議し、湖左義兵陣(提川義兵)の義兵大将に推戴された。
1907年の高宗の退位と丁未7条約、そして義兵解散によりそれ以上の国内での活動が難しくなると、1908年にウラジオストクに亡命し、1910年6月に13道義軍を結成して都総裁に推戴された。その後ロシアの弾圧により13道義軍が瓦解すると、1914年に西間島に亡命を断行したが、1915年1月29日(旧暦)、西間島奉天省寬甸県で74歳で殉国した。
政府では柳麟錫の功績を称えて1962年に建国勳章大統領章を追叙し、国家保勳処は2000年1月に彼を「今月の独立運動家」に選定した。