翰西 南宮檍 (1863~1939)

> 歴史と文化 > 江原の精神 > 翰西 南宮檍 (1863~1939)
확대기본축소 프린트

翰西・南宮檍 (1863~1939)

翰西・南宮檍
韓国の国花である無窮花の普及運動を展開し、皇城新聞を創刊した独立運動家であると同時に教育者である。号は翰西。
1884年、英語学校である同文学を修了して御前通訳官として官史生活を始め、1896年7月、徐載弼、李商在などと独立協会を創立した。
1898年9月に皇城新聞を創刊するとともに社長に就任、日帝の韓国侵略の野望を暴露したため、酷い拷問を受けた。
1906年2月、襄陽郡守に赴任し、その翌年の7月、東軒の裏山に峴山学校を設立して救国教育を実施し、1910年に培花学堂の教師となって愛国心の涵養と女性の権利の向上に全力を傾けた。
1918年、故郷である洪川郡書面牟谷里に帰り、教会を建て、学校を設立し、無窮花普及運動を展開しながら『東史略』、『朝鮮物語』などの国史書を著わして教育するなど民族精神の鼓吹に力を尽くした。
1933年、独立運動秘密結社である十字党を組織して活動しているときに投獄され、8ヵ月間日本警察の酷い拷問を受け、ついにはその影響で殉国した。
政府ではその功績を称えて、1977年に建国勳章国民章、1990年に建国勳章独立章を追叙するとともに、文化観光部は2000年1月の「今月の文化人物」に選定した。